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『鬼滅の刃』と『ジョジョ』が似てる本当の理由【呼吸じゃない】

「『鬼滅』は『ジョジョ』のパクリ!?」

なんていう記事を2020年の11月くらいに見かけて、

「はいはい似てるかもね」

と思って読まずにスルーしていたのですが、その記事を改めて読み返してみると、ぼくの思っていたのと違っていたんですよね。

この記事では『鬼滅の刃』と『ジョジョ』が似ている本当の理由について説明しようと思います。

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『鬼滅』と『ジョジョ』が似ていると言われている点

『鬼滅』と『ジョジョ』が似ていると言われている点は次の4つです。

血統や血筋

吸血鬼

呼吸

悪役の残虐さ

それぞれの説明について詳しくは避けますが、『鬼滅』の吸血鬼や呼吸といったアイディアは確かに『ジョジョ』の第2部に似ていますし、悪役にしても、犠牲にしてきた人数を聞かれて「おまえは今まで食ったパンの枚数を覚えているのか?」と言い放った『ジョジョ』の悪役・ディオと、『鬼滅』の鬼舞辻無惨の手下に対する圧迫面接はジャンプ史上の残虐さでも肩を並べるものがあります。

だからといってパクリと揶揄するのはあまりに無理やりですよね。作者の吾峠さんもジョジョファンではあるようですが、設定やアイディアが多少似ていたとしてもオマージュの範囲を超えない程度であることはマンガを読めばわかります。

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本当に似ているのは回想シーン

「『鬼滅』と『ジョジョ』は吸血鬼とか呼吸とかが似てる」

と知って、「あー、確かに」とは思いましたが、ぼくが思っていた「似ている点」は違います。

それは回想シーンです。『鬼滅』と『ジョジョ』の回想シーンに共通する点はつぎの2つ。

戦闘シーンの最中に回想シーンがはさまれる点

敵のバックグラウンドを描く回想シーンがある点

『鬼滅』のストーリーは全体的に回想シーンが多いのが特徴です。それも戦っている最中が多いです。

例えば、映画『無限列車編』にあたるエピソードの中でも、煉獄杏寿郎が熱い戦いを繰り広げている真っ只中に煉獄の過去の回想シーンが挿入されます。それは、他の柱についても当てはまることで、物語の終盤まで戦いながらの回想が続きます。そのキャラクターが「なぜそんな容姿をしているのか」、「なぜ鬼を憎んでいるのか」という背景を丁寧に描いているんですよね。

回想シーンは味方だけではなく、敵にもあります。「その敵がなぜ鬼になったのか」、「どんな家族がいたのか」まで事細かに描かれているんです。

回想シーンの多さは、すなわち、吾峠さんが登場人物一人一人に対して、それだけ多くの設定を考えたということを物語っています。もしかしたら、『鬼滅』本編では語りきれていない物語もあるのかもしれません。

『鬼滅』が『ジョジョ』と似ているのは1部でも2部でもなく5部

『鬼滅の刃』は『ジョジョ』の1部や2部からアイディアを拝借したと言われています。血統、吸血鬼、呼吸、そしてディオが現れるのは序盤だからです。しかし、回想シーンが多いのは5部つまり、『鬼滅の刃』が物語の全体の構成として着想を得たと思われるのは『ジョジョ』の5部だということです。

5部では「登場人物が子どものころにどういう生活を送ってきたか」、「敵の部下にどんな過去があったか」まで詳細に描かれています。

しかも、その回想シーンはまさに戦っているときに挿入されます。5部までの『ジョジョ』ではそれほど細かく回想シーンがなかったのではないでしょうか。

回想シーンが多いとどんな効果があるのか?

回想シーンが多いとキャラクターに愛着がわきませんか?

「こんな辛いことがあったなら多少乱暴なのもわかる」

「あの敵はこんな過去があったから味方を恨んでるんだ」

とキャラクターの理解が深まります。『鬼滅』が多くのファンを獲得し、ファンアートがこれだけ多く存在するのは一人一人のキャラクターの歴史にファンがほれ込んでいるからという要因もあるのではないでしょうか。

吾峠先生自身も、キャラクターを学園モノに置きかえたイラストを『鬼滅』のコミックスの中で残していますしね。吾峠先生が一番の『鬼滅』ファンであることがうかがえます。

『鬼滅』が『ジョジョ』と違うのは敵が同情を誘うところ

敵には敵なりの事情があったことがわかると、敵にも同情してしまいます。『鬼滅』が『ジョジョ』と違うところは敵にも愛着がわいてしまうところです。

『ジョジョ』の場合は回想シーンがあったとしても悪は悪として描かれます。一方、『鬼滅』の鬼は、「体が弱かったから」とか、「悪い人間に対する恨みのあまり」とか、鬼になるのも仕方ないと思えるパターンがあるんですよね。

なぜ『鬼滅』は敵に同情しても成立するのか?

逆に、なぜ『ジョジョ』の場合は「敵がかわいそう」と思ってしまうと話が成立しないと思いますか?

『ジョジョ』5部の場合、敵役は人間です。人間をやっつけたら普通は捕まってしまいますよね?よって、5部の敵役にはやっつけるだけの悪い理由があるんです。もし、敵にかわいそうな理由があったら、正義の味方は助けないといけなくなりますから。

しかし、『鬼滅』の場合は相手は鬼ですから、たとえ情状酌量の余地があっても斬る必要があるんです。さらに、鬼を斬ることは「人を食いたい衝動から救う」という意味合いもあります。そもそも、鬼は人を食うという重大な悪事を冒していますしね。

まとめ

『鬼滅』が『ジョジョ』と本当に似ているのはその構成であり、回想シーンだということが分かっていただけたでしょうか?確かに、吸血鬼や呼吸といったアイディアも拝借したかもしませんが、もしそうだとしても、『鬼滅』は吾峠先生なりに『ジョジョ』を進化させた物語であるということが言えるんじゃないでしょうか?それは敵の性質の違いにも表れていると思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。きたはちでした。

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