暗いけどちょっと考えさせられるようなマンガ読みたい
という人は「空っぽのやつでいっぱい」がおすすめですよ。
「空っぽのやつでいっぱい」は若者に人気のクリエイター、アボガド6さんの作品です。
若者たちはもちろん、大人も読めば若者の気持ちがわかるかもしれませんよ。
アボガド6「空っぽのやつでいっぱい」短編漫画 あらすじ一部紹介
この記事はこんな感じになっています。
・「空っぽのやつでいっぱい」概要
・願い事が叶えられるとしたら
・話を越えた伏線
・現実主義的て悲観的なストーリー
・収録作品一部紹介
「空っぽのやつでいっぱい」概要
「空っぽのやつでいっぱい」はアボガド6さんの短編集です。
2017年にKADOKAWAから発売されました。
アボガド6さんにとっては初の書籍化作品です。
アボガド6さんは2011年ごろからネットで活動をはじめ、映像作家、イラストレーター、マンガ家として活躍中の多才な方です。
ちなみに、アボガド6さんの名前の由来は食べ物の「アボカド」じゃなくて、
「アボガドロ定数」とかの「アボガドロ」からきてるそうですよ。
願い事が叶えられるとしたら
ここに何でも願い事を叶えられる電話があります。
ただし願い事を叶える代わりに寿命が削られます。
あなたはその電話を使いますか?
「空っぽのやつでいっぱい」にはランプの魔人のように願い事を叶えるシーンが出てきます。
寿命を削ってでも願い事を叶える人。
願い事を叶える代わりに寿命を奪う仕事をしている人。
なんでも作れるしなんでも消せる無邪気なカミサマ。
登場人物がそれぞれ問題を抱えながら、「願い事」にどう向き合うかを描いています。
現実主義的で悲観的なストーリー
全体的なムードとしては悲観的ですね。
登場人物は虐待、いじめ、理不尽な事故などの壁にぶつかっています。
ハッピーエンドとは言いきれない結末からは、
「辛いことがあっても抜け出せない」
「夢は簡単には叶わない」
というメッセージが感じられます。
そういった悲観的なメッセージが、現実主義的な現代のネットの雰囲気とちょうどリンクしているんじゃないでしょうか。
痛みを感じさせる表現
「空っぽのやつでいっぱい」は登場人物が不遇な状況にあるので、
痛みを感じさせる表現が多いです。
それは、物理的な痛みもあるんですが、それ以上に心の痛みを感じさせる表現になっています。
現実主義的とは言っても、どんな現実でも受け入れられるわけじゃないですよね。
現代人の心の悲痛な叫びを代弁している作品だからこそ、
アボガド6さんの作品は多くの人に支持されているんかもしれませんね。
話を越えた伏線
「空っぽのやつでいっぱい」の短編は登場人物が少しずつ重複している上に、それぞれの話によって主人公が違います。
そして、ある登場人物の行動の意味が別のお話を読むことによってわかるなど、短編と短編の間で伏線を張っています。
短編集のようで一貫した物語のような複雑な構成にあっと驚かされますよ。
収録作品一部紹介
ここからは、「空っぽのやつでいっぱい」に収録されている作品をちょっとだけ紹介しますね。
「命を削る仕事」あらすじ
「命を削る仕事」は絶望的な状況に陥った男の子が主人公です。
絶望に打ちひしがれている主人公の元に、スーツの女性が現れます。
女性は、主人公に「命を削る仕事」を一緒にするよう誘います。
仕事内容は、様々な人からの願い事を電話で聞き、残りの寿命を伝えること。
そして、死期が近づいたら依頼人の死を見届けます。
そんな仕事があったらやりますか?
「命を削る仕事」感想
「命を削って仕事をする」っていう言葉は聞きますよね?
あなたの職場にもいませんか?
働きすぎて体を壊している人。
もしかしたらあなた自身がそうでしょうか。
「命を削る仕事」では自分の命ではなくて他人の命を削っています。
現実では仕事で自分の命を削るのが普通になっていますよね?
働くことの意味を考えさせられます。
「神様が落ちてきた日」あらすじ
「神様が落ちてきた日」で描かれるカミサマは、無邪気に描かれています。
子どもたちが遊ぶ公園に突然現れた「カミサマ」は
子どもたちよりも少し背丈が大きいけれど、姿も中身も無邪気な少年のようです。
カミサマはお菓子も増やすことなどいとも簡単にやってのけます。
だってカミサマは子どもたちが暮らす銀河全体を作ったんですから。
カミサマは楽しく遊んでくれたお礼に一つだけ願いを叶える約束をします。
すると、一人の子どもから「大人を消してほしい」と頼まれます。
無邪気な神様は…?
「神様が落ちてきた日」感想
「神様が落ちてきた日」のカミサマは無邪気で明るくて親しみやすいです。
でも、人間の常識や倫理観が通用しないところもあります。
子供のように無邪気だからこそ怖いんですよね。
この話は「命を削る仕事」と比べてみるとちょっとおもしろいですよ。
「命を削る仕事」の場合は、願い事を叶えるときに寿命という対価が発生しますが、
「神様が落ちてきた日」のほうは、何もありません。
命を削ってまで願い事を叶えようとする人と、偶然運がよくて願い事を叶えられてしまう人がいます。
現実も同じような気がしてきませんか?
まとめ
「空っぽのやつでいっぱい」は「願い事」が一つのテーマになっている気がするんですよね。
物語に出てくる願い事をかなえられる電話ボックスは、ドラえもんの「もしもボックス」のオマージュですかね。
願いを持つことは悪いことではないけど、代償はあるってことが「空っぽのやつでいっぱい」のメッセージだと思います。
また、自分の心の叫びに向き合うことも大切だなと感じられますよ。
「空っぽのやつでいっぱい」ぜひ読んでみてください。
ここまで読んでいただきありがとうございました。きたはちでした。
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